普段は寡黙なうちの夫。
友人Aとの会話も、基本は聞き役。
でも、ときどき放つ一言が鋭すぎて、突き刺さっている様子が見られます。
私はアダルトチルドレン気質があるため、
「弱音を吐いたら嫌われる」「しっかりしてないとダメ」
とずっと思い込んで生きてきました。
だからこの日、友人Aの言葉にも、ちょっと共感してしまった自分がいたんです。
こんなことがありました。
寡黙な夫が、口を開いた瞬間
パートナーがなかなか見つからずに悩んでいた友人A。
私達夫婦で話を聞いていたとき、彼女がこう言いました。
「弱音を吐く男の人とだけは、結婚したくないし、できないな〜。」
その瞬間、相槌だけで黙っていた夫が口を開きました。

自分の安心できる場所である家庭で、弱音が吐けないんだったら、どこで吐き出すの。
一瞬で、空気が変わりました。
私も、弱音=ダメって思い込んでた
そのとき思ったんです。

ああ、私も家で“安心して弱音を吐く”っていう感覚、なかったな……
弱音=甘え、迷惑、価値を下げるもの。
そんなふうに思い込んでいた私は、「弱さを見せられる関係」が、どれだけ安心か知らなかった。
夫は弱音を吐いてもいいと、はっきり言ってくれていたのに。
私は自分の気持ちを悪いものだと思い込んでいたんだ。
常識が音を立てて崩れた。友人Aが変わった瞬間
そして友人Aは「え、うそ。共感してもらえると思ったのに……」と驚きつつも、
しばらくしてこんなふうに言いました。
「そうかも。外でぐちぐち言う人より、家庭の中で言ってる人の方が信頼できるよね。私、ずっと間違ってたんだ。なんで気づかなかったんだろう……」
さらに別の友人Bも、
「私、弱音って信頼してる人にしか話せないから、むしろ話せる人って大事かも」とポツリ。
価値観が“ごそっ”と崩れ落ちる音がしました。
友人Aは、「私の当たり前が壊れた……また話聞いて!婚活頑張ってくる!」
そう言い残して去っていった彼女は、後に良きパートナーと出会い、結婚しました。
”弱さを見せられる場所”があるって、生きやすさになる

自分の中の「常識」って、気付きにくいもの。
でも、本当は誰だって、安心して弱音を吐ける場所が必要なんですよね。
それがあるかないかで、人生の“生きやすさ”は大きく変わるのかもしれません。
私と同じように、「弱さ=ダメ」って思い込んできた誰かに、
今日の話が、そっと届きますように。
弱音を見せることは、決して「弱さ」ではなくて、
「信頼」や「安心」があるからこそできる行為なのかもしれません。
そんなことを、夫のたった一言から教えてもらいました。
今、誰かに“ちょっと違う視点”が届きますように。